恋人に会うための途で倒れた日本人のお墓が、ホイアンにありました。

こんにちは、32kiです🇻🇳

1泊2日というまさに弾丸な日程を組んだホイアン、1つ前の記事で書いたクアダイビーチに行くまでの緑の美しい道。今回は、そこで見つけた日本人の「お墓」についてのお話です。

ホイアンの「クアダイビーチ」と、青空が映える美しい緑のスポットを散策。
こんにちは、お久しぶりです、32kiです🇻🇳 デング熱の記事、多くの人に読んでもらってるみたいで嬉しいです〜! ...


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maps meに「Japanese Tomb」と書かれた場所。
日本人のお墓。詳しい場所は後ほど画像を載せます〜!

(ちなみにmaps.meとは旅人御用達のアプリのことです!エリアの地図をダウンロードしておけば、オフラインの状態でもしっかり地図を表示してくれるとっても便利なアプリです!)

ハイパーチュン通りから外れて、あぜ道を進んで行きます。
時折バイクや自転車とすれ違う、のどかな風景。

川沿いにまっすぐ進んで行くと、道の途中にこのような看板がありました。あぜ道の入り口にも看板がありましたが、撮り忘れてしまいました〜(泣)

ベトナム語と日本語と英語。

更に看板の横にあるあぜ道を歩いていきます。

水の流れをまたぐように小さな石の橋が架けられており、横には蓮の葉。素敵な風景。

どこか日本を思い出すような田園風景だな、と思いながらあぜ道を進みながら緑の景色を撮影していると、写真の左側にひっそりと佇む石囲いのようなものと黄色い墓標のようなものが見えてきたのに気付きました。

ぐるっと回り込み、やっとこれが暮石だということがわかりました…!

暮石の後ろにある黄色い石碑には、こう言葉が綴られています。

「1647年、日本人の貿易商人、谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)ここに眠る。言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に従って日本に帰国する事になったが、彼はホイアンの恋人に会いたくてホイアンに戻ろうとして倒れた。この彼の墓は母国の方向、北東10度を向いている。この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄していた当事、日本の貿易商人と市民との関係が大変友好的であった事の証である」

なんて素敵なお話なんだろう…!!

あとあと調べてみたのですが、朱印船貿易が盛んであった17世紀には日本人が300人以上住んでいたんですって。貿易、鎖国、歴史の授業で習ったなあくらいの記憶ですが、実際にその土地に来てみるとほんの少し身近に感じるなあと思ったり。1633年に第一次鎖国令ホイアンに暮らす日本人は帰国か残留かを迫られて、彼は恋人と一緒にいることを選んだんですね。

なんだかセンチメンタルになる。笑

こういうバックボーンというか、人間の人生が見えるとより歴史の勉強が捗るのにな。元々歴史の授業は好きで唯一得意な科目が日本史世界史だったんだけど、こういうプチ情報があったらもっともっと好きになってただろうなあ

それにしても、どうしてこの場所に建てられたんだろう?
生き生きとした緑が広がる日本を思い出すような田園の真ん中に。でも日本人である彼の墓地がそんな場所にあるのはそれはもうたまらないくらい素敵なことだよねえ、再びセンチメンタル( ‘ω’ )

この黄色いお花、誰が手向けたのかなあ。

周りに咲いてる白い花、なんて名前だろうな。

とか、しみじみしちゃいました。ずっと見ていられるのどかで美しいこの場所と緑にほっこり。実はホイアンにはこういうスポットもあるんだよ、という紹介でした。調べてみたところ、ホイアンにはこの墓跡以外にも何箇所か日本人のお墓があるみたいですね!気になる方、ぜひ調べてみてください〜!◎

そして肝心の場所ですが、(私の検索の仕方が悪いのか)Googleマップだとどうやら見つからないんです。maps.meでは表示されたんだけどなあ、ということで、この画像を参考にしてみてください。是非是非。分かりやすい、はず。笑


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